2008.12.22

【言葉】ストーカー行為(続き)

とんだ確認不足をしていたことに気付いた。
前の記事で、大新聞すら「ストーカー行為」と書いているのは許し難いと書いたが、ストーキングを規制する法令を確認したところ、法令の名称が「ストーカー行為等の規制等に関する法律」という名称であり、条文で「ストーカー行為」を定義し、「ストーカー行為」という言葉を使用していた。

つまり、「ストーカー行為」は法令用語であると言って差し支えないだろう。
それであれば、新聞はその法令用語を使わざるを得ないだろう。

確認不足の反省と批判した大新聞への謝罪が必要である。
このことは、率直に反省し、謝罪する。

しかし、法令が不自然な日本語を使用しているというのは、さらに許し難い行為である。
どのような経緯で、この法令が成立したかなど不明であるが、条文で使用している言葉がが日本語として適切であるかどうかについて確認しなかったのであろうか。

また、日本には独立行政法人 国立国語研究所という日本語を研究する組織があり、「国民の言語生活の充実、外国人に対する日本語教育の振興への寄与」を任務としているが、法令が「ストーカー行為」のような不自然な日本語を使用するのを許すことは、その任務を放棄していると言えるのではないか。

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2008.12.21

【言葉】ストーカー行為

最近の気持ち悪い日本語に「ストーカー行為」がある。
ストーカー(Stalker)が行う行為って、ストーキング(Stalking)でないの?
なぜ、ストーキングと言わないで、ストーカー行為って言うの?

「ハンター」が楽しむのは「ハンティング」であって、「ハンター行為」ではないでしょ?
「キャンパー」が行うのは「キャンピング」だし、「ミキサー」が行うのは「ミキシング」だし、「ソーシャルワーカー」が行うのは「ソーシャルワーキング」だし、「ゴルファー」が楽しむのは「ゴルフ」だし、「スケーター」が楽しむのは「スケート」だし、「インタビューアー」が行うのは「インタビュー」だし、「オペレーター」が行うのは「オペレーション」だし、「コーディネーター」が行うのは「コーディネーション」だし、、、、

日本語化された外来語で、行為者(このケースではストーカー)に「行為」と付けて、行為を指すという例は、これまでなかったと思うけど、いかが?
しかも、行為を表す単語に行為者を表す名詞接尾(er)を付けて、それに「行為」を付けるという、屋上屋を重ねるありさまである。

大新聞までも「ストーカー行為」と書いているのは、許し難い。
日本語を汚す行為以外のなにものでもない。

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2008.12.19

【写真】カメラ遍歴

一番最初に本物のカメラを持ったのは、父から譲り受けたヤシカの二眼レフだった。
たぶん、小学校3年生の頃だと思う。
そして、4年生になるとクラブの時間が加わるのだが、迷わずに写真クラブを選んだ。いわゆる街角スナップばかり撮っていたように記憶している。

その後、小遣いを貯めて、キヤノン デミEE17というハーフ版のカメラを購入した。
このカメラでは、フラッシュ(ストロボではない)を付けて、叔母の舞台(日本舞踊)など、本格的(?)な撮影を始めた。

そして、中学生になった頃、父に初めての一眼レフを買ってもらった。
最初の一眼レフは、ニコンのF2フォトミックで、今思えば、とんでもなくナマイキな中学生だったということになるかもしれない。
ちなみに、一緒に購入したレンズは、ニッコールの55m F1.2という、本体同様、中学生には宝の持ち腐れといっても差し支えないものであった。
さらに、サブカメラとしてニコマートELも買ってもらった。
いったい、父は何を考えて、中学生の息子に、とんでもなく不釣り合いなカメラを買い与えたのだろう。非常に疑問である。

中学3年生の時、音楽に開眼し、高校生の頃は、音楽にのめり込んでいたので、ニコンの2台は、押し入れの奥にしまったままとなった。

1980年の始め頃、なぜか、当時流行っていた小さな110カメラが欲しくなり、コダックのカメラを買った。

その後、しばらくは、カメラを持たない期間が続いたが、1990年代の始め頃になって突然一眼レフが気になりだし、ニコンのF90を購入した。
F90では、もっぱら音楽仲間のステージ写真と1990年代の終わり頃から飼い始めたハムスターを撮った。ハムスターの写真は、とにかく多く、いまだに大量のネガやポジが残っている。

F90を使う一方、新たに登場したAPSも気になり、キヤノンのIXYを購入した。IXYは、日々持ち歩いて、角が擦れて下地が見えるまで使い倒した。
その後、APSは、キヤノンのIX-Eやニコンのプロネア600iといった一眼レフも使ったが、ある程度使ったところで、いずれも処分してしまった。撮影データがカートリッジに記録されるという点は便利であったが、デジタルに移行するまでのつなぎであったようだ。

最後に買ったフィルムカメラは、コンタックスのT3である。
もうすぐ販売終了になるということで、あわてて購入したが、結局、あまり使わないうちにデジタルへ移行してしまい、早々に処分してしまった。

そして、2000年からデジタルカメラへの移行を始めた。
最初に購入したのは、ニコンのクールピクス990で、その後クールピクスは、5000、7900、8700、8800、P5000、P5100と遍歴を重ねた。

デジタル一眼レフは、ニコンのD70sから始まり、D80、D300と移行し、しばらくD300との付き合いが続くと思っていた矢先にD700が発売され、高感度性能に惹かれD700へ移行した。

このほか、コンパクトデジタルカメラは、ミノルタのXgとリコーのGR Digitalを購入した。
Xgは、コンパクトで良かったが、レンズの歪曲収差が気になり、処分した。
GR Digitalは、デジタルへ移行してから、最も長く使っているカメラである。小さな不満はあるが、まだまだ使い続けることだろう。

買い損なったフィルムカメラでいまだに心残りなのは、コンタックスのG2とニコンのNewFM2である。資金さえあれば、今でも程度のよい中古を入手できる可能性はあるが、そこまでの情熱は残っていない。
一方、デジタルカメラは、世代交代が早く、性能の向上も著しいので、買い損なって後悔している機種はない。

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2008.11.14

【雑談】またしても…

2008年10月29日付けで、東急ホテルズのWebサイトに東横インとの関係を否定するお知らせが掲載されている。

東急ホテルズおよび東急グループは、「東横イン」とは一切関連がございません。

廃棄物処理法違反の疑いで東横インの元社長が逮捕されましたが、「東横イン」は、「東急ホテル」、「エクセルホテル東急」、「東急イン」、「東急リゾート」の4つのブランドホテルを展開する私どもの「東急ホテルズ」とは、関連の無いまったく別のホテルチェーンであり、東急グループとの関連もございません。

いまだに、東横インと東急ホテルズの区別が付かない輩が多いのか…

もし、東横インへの苦情を東急ホテルズに言っているとすれば、事実に目を背け、自分の感情だけを吐き出せばよいという悪意に満ちた行為ではないだろうか。

あるいは、東横インは東急ホテルズだと、本当に信じているのだろうか。
そうだとすれば、基本的な確認をすれば起きないような過ちを平気で犯す態度には、非常に不愉快にされる。

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2008.11.09

【科学】仮説と真理 その3-参考書(1)

仮説と定説、真理の違いについて言及している書籍はないかと調べたところ、2006年に発売されたベストセラーがあった。

竹内薫:99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方 光文社

一般向けに、気軽に読めるように書かれた新書で、物足りなさは感じるかもしれないが、仮説と真理について考える上で基本的な内容が書かれているので、仮説と真理の問題について興味があるなら一読することをお勧めする。

同書のプロローグには、次のように書かれている。

 よく「科学的根拠」がないものは無視されたりしますが、それはまったくナンセンスです。  なぜなら、科学はぜんぶ「仮説にすぎない」からです。

「第3章 仮説は180度くつがえる」では、ロボトミー手術、冥王星、宇宙定数を取り上げ、「白い仮説」(誰もが信じていて、実験などでも正しいと何度も確認されている仮説)から、「黒い仮説」(限りなく嘘に近い仮説、実験や観察結果と合わない仮説)へと変わったことが紹介されている。また、宇宙定数については、白い仮説から黒い仮説になったのち、黒い仮説から白い仮説への復活を遂げた経緯も紹介されている。
ちなみに、冥王星の件は、同書の執筆時点(2005年末)では、まだ確定していなかったが、その後、格下げが確定したのは、周知のとおりである。

そして、仮説が白であるか黒であるかを決めるのは、誰であるかについて、次のように書いてある。

 同時代の大部分の専門家が正しいと考えているものが白い仮説です。逆にほとんどの専門家がまちがいだとみなしているものが黒い仮説です。専門家の意見が分かれるのであればグレーな仮説です。そのグレーの濃淡も、限りなく白に近いものから限りになく黒に近いものまでさまざまです。

「第4章 仮説と真理は切ない関係」では、ファインマンの「科学はすべて近似にすぎない」という言葉を紹介し、次のような説明を行っている。

 この近似という言い方は、科学がどんなに進んでも完全な予言などできないし、永遠に真理には到達しえない、という意味なのです。

<続く>

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2008.11.06

【写真】「ちょっと寄り道」に写真3点追加

ちょっと寄り道」に、仕事で神奈川方面へ行った際に撮影した写真を3点追加した。

懐かしい過去への小旅行であったが、20年以上の歳月が変えたものを確認する小旅行でもあった。

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2008.09.21

【科学】仮説と真理 その2-仮説とは、真理とは

仮説と真理の違いを考える前に、それぞれの言葉の定義を確認しておこう。

『広辞苑』には、それぞれ以下のように書かれている(補足的な記述は省略)。

【仮説】

自然科学その他で、一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定。ここから理論的に導きだした結果が観察・計算・実験などで検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で妥当する真理となる。


【真理】
①ほんとうのこと。まことの道理。「不変の-」
②(ア)意味論的には、命題の表している事態がその通りに成立しているときに語られる。例えば「雪が白い」という命題が真であるのは、事実雪が白いときである。
(イ)真理認識の方式にはおおよそ三つの立場がある。観念(認識する知性)と実在との合致によって真が成立すると考える対応説。当の観念が整合的な観念体系の内部で適合するときに真が成立すると考える整合説。仮説が事実によって検証されたときに真が成立するプラグマティズム。現実の真理認識は、この三説によって成り立っている。
(ウ)倫理的・宗教的に正しい生き方を真理ということもある。

科学における「仮説」と「真理」の定義については、仮説の解説で網羅されているようである。
また、「真理」についての非常に重要なことが書かれている。それは、「一定の限界内で妥当する真理となる」ということである。

仮説は、検証によって真理に近づくが、時として、その検証に誤りがあることがある。
科学の歴史を見れば、「科学の歴史」とは「仮説の誤りを修正してきた歴史」と言い換えてもよいだろう。

ここで、もう一つの言葉について意味を調べてみよう。それは、「定説」である。
『広辞苑』には、次のような解説が書いてある。

【定説】 広く検証されて確実なものと認められた(仮)説。「-をくつがえす」

科学における「真理」と「定説」の違いは説明されていないが、「定説」とは、「仮説」の解説の中にあった、「一定の限界内で妥当する真理」に近いものと考えても差し支えないように思う。

そして、紹介されている用例が、素晴らしい。
定説はくつがえされるものという主張が込められているようにも感じられてしまう。

「仮説」、「真理」、そして「定説」の言葉の意味について調べてみた。
「仮説」は、広く検証されて「定説」になると考えるのが妥当なようである。
しかし、「定説」がそのまま「真理」となり得ないことは、科学の歴史を見れば明らかである。

では、「定説」を「真理」とするには、何が必要なのであろうか。また、誰が「定説」を「真理」であると認定するのであろうか。

<続く>

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2008.09.17

【科学】仮説と真理 その1-ブラキストン線

もう1年以上前のことだったが、誰かと「ブラキストン線」の話をした。

「ブラキストン線」とは、『広辞苑』によれば、次のとおりである。

本州と北海道との間に引かれた生物分布境界線。1880年ブラキストンとH.プライアーが鳥類の分布調査から提唱。

それで、その時の話の内容は、ブラキストン線以外に生物分布境界線があるかどうかということだったと記憶している。

『広辞苑』には、続きの解説が次のようにある。

現在では鳥・魚類の分布が修正されるなど、以前ほどこの境界の意義は認められていない。

つまり、ブラキストン線以外にも生物分布境界線があるということになる。
ちなみに、他には、「シュミット線」、「八田線」、「宮部線」などがある。

かなり不確かであるが、ブラキストン線は高校生の頃に習ったように記憶している。

本題に入ろう。

ここで問題にしているのは、ブラキストン線、シュミット線、八田線などのうちの、どれが最も支持できる仮説であるかということではない。
問題にしているのは、ブラキストン線が正しい仮説であるとされた理由である。

ブラキストン線の話をした相手は、ブラキストン線は正しいと信じて疑っていなかったようなのである。
一方、小生は、ブラキストン線は仮説の一つにすぎず、他にも仮説があることを、おぼろげな記憶ではあったが、知っていた。

この話をした相手が、学校で習ったことはすべて正しいと信じていたのか、仮説に対する正しい接し方を知らなかったのか、あるいは、それ以外なのは分からない。
理由はどうであれ、仮説の一つに過ぎないものを、無批判に正しいと信じていたことは間違いない。

<続く>

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2008.08.18

【科学】タコの足は2本?

ヨーロッパの水族館「シー・ライフ」の研究チームは、タコの足は2本かもしれないという研究結果を発表した。

同チームは、イギリス、ドイツ、ベルギーなど16カ所の水族館でタコの足の動きを調べたところ、8本の「足」のうち6本は、手に近い働きをし、残り2本が移動などを受け持ち足に近い働きをしていたという。
しかも、手に近い働きをする6本には、右利き、左利きの違いまであったそうな。

となると、タコの足は8本という考え方は間違いということになるかもしれない。
形態を見れば足は8本だが、機能から見れば手が6本と足が2本になると修正することが必要になるかもしれない。

科学が、それまでの常識を否定したり、修正を余儀なくしたりすることは珍しくない。
タコの足が8本から2本になっても大きな実害はなさそうだが、「たこ足配線」という言葉は、ちょっと都合が悪くなりそうである。

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2008.03.29

【寄り道】善福寺川沿いの桜

桜が満開となったということで、善福寺川沿いを荻窪三丁目から五日市街道まで歩いてみた。

1羽のサギがエサを漁っている。

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また、何羽かの鴨がエサを漁っていたり、岸に上がって羽を休めていたりする。

20080492

そして、しばらくすると満開の桜が見えてきた。

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20080506

桜の下では、多くの人達が弁当を広げたり、酒宴を開いていたりするが、それを横目に猫はちょっと迷惑そうな顔をしている。

20080504

もちろん、咲いているのは桜だけではない。
山吹も桜に負けじと頑張っている。

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20080526

しかし、桜の花は、1年のうちの、ほんの短い時間に、すべてのエネルギーを使い尽くすのではないかと思えるように咲いている。

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20080557

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